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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(あ)709号 決定 1983年11月24日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人小野寺利孝、同山下登司夫の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切ではなく、その余は、憲法三一条、一四条違反をいう点をも含め、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、道路運送車両法に規定する電子情報処理組織による自動車登録ファイルは刑法一五七条一項にいう「権利、義務ニ関スル公正証書ノ原本」にあたり、右自動車登録ファイルの「使用の本拠の位置」又は「使用の本拠の位置」及び「使用者の住所」についての虚偽の記載は同条項にいう「不実ノ記載」にあたると解すべきであり、これと同旨の原判断は、正当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官谷口正孝の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。

一 本件で職権判断が求められているのは、電子情報処理組織によつて行われる自動車登録ファイル(昭和四四年法律第六八号による改正前の道路運送車両法にいう自動車登録原簿に代わるもの)への登録のためのコンピュータの磁気ディスク(右改正後の同法六条、自動車登録令七条)が、刑法一五七条の公正証書原本不実記載罪にいう「公正証書ノ原本」にあたるかどうかということである。多数意見は右コンピュータの磁気ディスクが前記法条にいう「公正証書ノ原本」にあたることを認めたが、コンピュータ磁気ディスクの文書性については格別の判断を示していない。

二 従来、学説、判例は、この原本が文書であることを当然の前提としてきた。そして、そのことは、本罪の規定が文書偽造罪の章の中に公文書偽造罪と一連の犯罪として位置し、公正「証書」の用語が用いられていることを考えれば、むしろ当然のことというべきである。

ところで、刑法上文書の概念については、一般に「文字または文字に代わるべき代替的符号(谷口註・記号といつてもよい)を用い、ある程度永読すべき状態において物体上に記載された意思または観念の表示であつて、その表示の内容が法律上または社会生活上重要な事項について証拠となりうべきものをいう」とされている(大審院明治四三年九月三〇日判決、刑録一六輯一五七二頁等参照)。

そこで、この一般に承認された文書概念によつてコンピュータの磁気ディスクを文書として観念することができるかどうかが問題となるわけである。

これを積極に解するのが本件の原判決その他下級審の裁判例である。これらは、「電磁的記録物も、人の意思または観念を内容とし、これをコンピュータ特有の記号によつて表現したものであり、プリント・アウトすれば文書として再生される。」ということを理由として、磁気ディスクを刑法上の文書としているのである(例えば、広島高裁昭和五三年(う)第六〇号、同五三年九月二九日判決、判例時報九一三号一一九頁参照)。そして、「コンピュータ技術革新は、いまや押し止めることのできない歴史的に必然な現象となつている。コンピュータによる情報処理は、近代化された社会にとつて不可欠のものである。この流れを刑法についての厳格過ぎる解釈によつて阻むことはできないであろう。」との認識――いわゆるコンピュータ犯罪の当罰性の認識――が、この積極説の根底にあることは否定できない。

然し、マイクロフィフムや特殊な光線を当てることにより文字が顕出するようなもの、すなわちそれじたいは可読的ではないが、機械を用いることによつて可読的になるものについて、文書性を肯定することは可能である。これらのばあいは、文字ないし記号がそれじたいとしては直ちに可読的ではないとしても、フィルム等の物体上にそれが一定の形象として表示されているのであるから、これらを文書として観念することは容易である。

これに対して、本件で問題とされている磁気ディスクに入力されている磁気それじたいは、形象として物体の上に表示されたものではなく、「プラス・マイナス」の磁気を帯びているに過ぎないのであるから、このようなものまでを文字に代わるべき記号とすることは余りに文書概念から雑れ過ぎる。私は積極説の見解は刑法解釈の枠を超えるものと思う。

三 然らば、コンピュータの磁気ディスクは、刑法一五七条にいう公正証書の原本となりえないものであろうか。

思うに、公正証書の原本は、公権力によつてその内容を確定し公証する方法として公務所において備えつけ、これを権利義務に関する証明の具として強い証明力を付与するとともに、これを見たいと思う者に対してその利用を認めることを目的としている。そして、法が、公正証書の原本について文書という形態を要求しているのは、一般に文書が証明の確実性を担保するうえですぐれた効用をもつているところから、記録ないし証明の手段として社会の信頼が厚く、従つてこれを特に保護する必要があると考えられていたためであつて、文書以外の他の形態のものであつても、権利義務に関する証明の確実性がそれによつて確保され、しかも関係の法令がそれを権利義務に関する証明のためのよりどころとすることを明定しているばあい、かかる証明のためのよりどころとされたもの=媒体は、その文書性に欠けるところがあつても、刑法一五七条にいう公正証書の原本として保護されてよいと考える。

前記改正後の道路運送車両法六条一項、自動車登録令七条は、コンピュータの磁気ディスクを改正前の道路運送車両法にいう自動車登録原簿に代わるものとして、公権力によつて自動車に関する権利義務についてその内容を確定し公証する方法として法が認めたものである。

そうすると、前記のような意味において、本件コンピュータの磁気ディスクは文書性に欠けるところがあつても、刑法一五七条にいう公正証書の原本たる資格を備えるものと、私は考える。

もつとも、このような解釈は右刑法の条規の明文から離れ、法の創造につながるとの非難もあるであろう。しかし、前記の如く他の関係法令をもつて、特に証明手段を権利義務に関する公正な証明の具として認める所以が明定された以上、文書性を害うことがあつても、これを右刑法の条規にいう公正証書の原本に取り込むことは、他の法令によつて刑法の構成要件が補充修正されたものとして許されると考える。

公正証書の原本は一般には文書であるが、他の関係法令が特に証明方法としての原本性を明定しているばあいには、必ずしも文書性を備えなくても公正証書の原本として刑法の保護の客体となるという結論になる。

(中村治朗 藤﨑萬里 谷口正孝 和田誠一)

弁護人小野寺利孝、同下山登司夫の上告趣意

第一、公訴権の濫用について

本件公訴は、

第一に、私文書偽造、同行使について、上告人らは無罪であるにもかかわらず、これについての判断を誤り、従つて、単なる公正証書原本不実記載・同行使の被疑事実であれば、仮りにこの点について嫌疑が充分であつたとしても起訴しないことが明らかな事案であつたにもかかわらず、上告人らの行為を私文書偽造・同行使を伴う公正証書原本不実記載・同行使という一連の行為と把握し、起訴した点において、

第二に、当時、自動車販売業界の慣行の一つとして、各デイラーが、従つてトヨタ東京カローラ株式会社も、いわゆるデイラー車庫方式によつて新車登録に必要な自動車保管場所証明書を各所轄の警察署から交付を受けていたが、これによつて、会社ぐるみで組織的に、公正証書原本不実記載・同行使に外形的には、該当する行為を長期間くり返し行われていたにもかかわらず、真の責任者を、すなわち、これらの罪が成立するとすれば真の犯罪者であるものを不問にしたうえで、上告人らを起訴した点で、

第三に、上告人らのみを対象にして、トヨタ東京カローラ株式会社の他の同じ行為を行つている営業所を不問にし、長期にわたる、かつ、違法不当な捜査の結果、悪意に基づいて起訴した点で、

著しく差別的、違法不当なものであり、憲法第三一条、同第一四条に違反する不適法なものであり、公訴権の濫用にあたるものである。

以下、その理由を述べる。

一、上告人らは、昭和五〇年二月、私文書偽造・同行使、公正証書原本不実記載・同行使の各罪で、東京地方裁判所八王子支部に起訴された。

上告人らが調布警察署の捜査の対象となつたのは、昭和四六年七月からであり、同年一〇月から一二月までに集中的に取調べが行なわれたものである。その後、翌年四月にわずか二名の取調べがされただけで同年九月まで放置され、再び同年一二月にのべ七名の取調べが行われ、それ以降翌四八年四月まで放置され、同月二名、同八月、九月各二名づつの取調べが行われ、検察官による本件事件の取調べは、昭和四九年三月に至つてからである。

かかる長期間にわたる捜査は、本件事案が特別に複雑な事件でもなく、当時の被疑者らも捜査には協力的でもあつたところから明らかな如く、本件事件の捜査の困難性によるものではない。本来、捜査は迅速性が要求されるものであるが、他面捜査機関による捜査の対象となつた被疑者の立場からも、被疑者の地位に立つことの社会的評価として、様々な不利益を被るのであるから、被疑者の利益という立場からも捜査の迅速性が求められる。このようなことは自明の理であるにもかかわらず、本件捜査が長引いたのには、次のような理由があると思われる。

その最大の理由は、当時捜査を担つていた調布警察署及び東京地方検察庁において、本件事件についての社会的、法的評価が揺れ動いたことである。つまり、車庫を保有しない客等に対し、デイラーが自社の駐車場を車を購入した客に対し形式上車庫として使用を承諾した内容の証明書を発行して、所轄の警察署から自動車保管場所証明書の交付を申請して受けるいわゆるデイラー車庫と称されていた型態が、全てのデイラー各社において行われ、事実、トヨタ東京カローラ株式会社においても全営業所で堂々と行われていた。このことは、当然警察行政の側でも充分認識しているところであり、事実、各警察署において、かかるデイラー車庫方式と云われる申請について、客観的には一定容認していた状況が存在する。

いかに青空駐車に対する世論の批判が強まつたからといつて、車庫法の規制は登録の場合のみの規制であり、車の保有そのものへの車庫の規制を伴つていない故にザル法との非難がある状況の下で、これらデイラー車庫方式を行つている各デイラー及びその実務担当者の全てを公正証書原本不実記載・同行使の各嫌疑で捜査の対象とし、起訴することなどできるわけがないことは明白である。

そうであれば、調布営業所の本件事案も形式が若干他と異なるものの基本はデイラー方式によるものであり、従つて公正証書原本不実記載、同行使の被疑事実だけで起訴するのは、あまりにも明白な見せしめ起訴、差別起訴であるとの反発と世論の批判を受け、これのみでは、全く起訴基準をクリアーしていないことになる。

そこで、事実、調布警察署及び東京地方検察庁においても、捜査過程において、明示あるいは黙示的に起訴されない事案であることを被疑者らに対して示唆している。その証左の一つとして、本件第一審における被告人東海林の、「警察で調べられた時、始末書で終るからと云われ、いろいろ教えてくれと言われて話したものです。」との第一回公判廷における供述をあげることができる。

しかるに、前記の如く長期かつ、途中幾度かの中断を重ねながらの捜査の結果、上告人らが本件起訴されるに至つたのは、調布営業所におけるデイラー車庫方式による自動車保管場所証明書の申請と交付受理に伴い、鈴木留吉名義の使用承諾書が偽造されたものであることが他の営業所、他のデイラーにない特徴と認識(事実誤認)され、私文書偽造・同行使が加わつた、ないしこれが土台となる一連の公正証書原本不実記載、同行使である故の本件事案の起訴であるから、起訴したとしても差別的起訴との当事者及び世論の非難を避け得るという認識が形成され、ついに本件起訴となつたことが、明らかに認められる。

二、上告人らは、起訴された当初、トヨタ東京カローラ株式会社の指示にもとづき、同会社の指定した弁護士を弁護人と選任し、私文書偽造、同行使の事実の有無をはじめ本件事案について何ら真相が明らかにならないまま、第一回公判で全て公訴事実を認めさせられ、全ての検察官請求にかかる証拠に同意させられ、当然ながら有罪判決を受けるに至つた。

しかし、その直後、右会社指定の弁護人を選任せず、自ら控訴し、当弁護人らをその後に選任し、破棄差戻、差戻審、そして控訴審と長期間の裁判の中で無罪を訴え続けようやく、昭和五七年四月二〇日、上告人らは東京高等裁判所において、私文書偽造・同行使については無罪、公正証書原本不実記載、同行使については一部無罪の判決を得るに至つたのである。

私文書偽造・同行使についての無罪の認定の理由は右判決に詳しいのでここでは省略するが、右判決も明確な如く、少くとも捜査段階において上告人らはこの点については一貫して無実を主張しているのであり、公訴権を有する検察官においても本件起訴、不起訴の判断にあたつて充分な事実調査を行い、真実を直視する姿勢でこの点を検討すれば上告人らが無罪であることは容易に判断しうるところであつたことは明白である。

しかも、今日においては、私文書偽造・同行使の点について上告人らが無罪であることは明確となつたのであるから本件において公訴権の行使において第一に無実の上告人らを私文書偽造・同行使の被疑者として起訴した点で違法不当な公訴権の行使であり、濫用であることは争う余地のないところである。それに加えて、前記の如く、私文書偽造・同行使の被疑事実が在り、これを伴つている一連の行為としての公正証書原本不実記載・同行使であるが故に差別的起訴にならぬという判断であつたことを考えれば、上告人らの私文書偽造・同行使の無罪が明らかとなつた現時点で、当時の公訴権の行使を改めて評価するなら同じ会社の営業所と比較したうえでの調布営業所の上告人らに固有な特徴は一切なく、他と同じく、いわゆるデイラー車庫方式によつた一連の新車登録手続が、公正証書原本不実記載・同行使のみとなり、従つて、上告人らのみを起訴したのは、他の同じ行為をくり返し行つている他の営業所のセールスマン等と比較して明らかに差別的起訴である。

以上の二点を理由としただけでも、弁護人らは、本件公訴権の行使が違法・差別的訴追であり、公訴権の濫用であることは明白であると判断するものである。

例えば、東京地判昭四二・七・二七下刑集九―七―九二四によれば、「全く嫌疑のないことが明白であるのに、ことさらに公訴を提起し、また起訴猶予を相当とすべき明白な諸事情があるのに故意に起訴したことが客観的に明らかである等検察官の公訴提起それ自体が違法と認められる場合には、刑訴法第三三八条第四号により、公訴提起の手続に違反するものとして判決により公訴を棄却しうる。」と判断している。

本件の上告人らの起訴が、右判例の判断で提示されている二点そのものに該当するものであることは前記のとおりであり、くり返す必要がないところであり、これら判例に照らしても、上告人らに対する本件起訴が公訴権の濫用であることは明らかである。

三、さらに、起訴から前記東京高等裁判所の判決に至るまでの証拠調べの中で明らかになつた如く、かかるデイラー車庫方式による自動車保管場所証明書の取得、そして虚偽の保管場所、使用の本拠地等を記載して行う新車登録手続は、トヨタ東京カローラ株式会社が全営業所で実行されていたことによつて明らかな如く、同社本社車輛部の組織的指導によつて長期間行われていたものである。その実態については、本社にあつて直接新車登録を担当する登録係においても充分把握しているところであり、文字通り会社の営業政策の方針に組み込まれ、指導され、公然と組織的に行われていたものである。その事実を検察官は明らかにする努力を拒否ないし放棄し、裁判官も真相を明らかにするための特段の努力を尽くそうとしてこなかつたため、不充分な面があるとは云え、基本的に法廷に提出された証拠によつて明確にされていると判断できる。

トヨタ東京カローラ株式会社は調布営業所へ捜査の手が入つたとき、デイラー車庫方式が全社的に行われている実情からして、放置すれば捜査が全社的に拡がる危険性があるとの上層部の判断の下に、捜査を調布営業所内に止めるための働きかけが積極的に行われ、加えて裁判でも同様事実を隠蔽するための手が尽くされたのである。

その一つに、同会社は捜査段階で真相を明らかにする努力を尽くさず、当時所長であつた上告人新居の責任に転嫁しようとして、新居が責任を感じ辞表を会社に提出した旨虚偽事実を検察庁へ上申したり、稲垣英彦取締役車輛部長をして、調布営業所内に問題を押し止め、かつ会社の責任にならぬよう処理することを上告人らに要求するなどしている。また一審で被告人らの弁護人を会社が指定し、一回の公判で全てを認めたのもこの表れである。

以上の事実から、明らかな如く、仮りに上告人らの新車登録手続に関与した行為が公正証書原本不実記載・同行使に該当するというのであれば、真の実行行為者であり、かかる犯罪の組織者であり、責任者は、トヨタ東京カローラ株式会社であり、その取締役らであることは、これまでの証拠上明白となつた事実にもとずく正しい結論であろう。

そうであれば、本件起訴が真の犯罪者を不問にしたうえで、一番末端に位置し、ユーザーとの接点で新車登録事務手続の会社への委任手続を受ける立場にいる上告人ら、そしてノルマに追われ、期限に追われ、一日も早い新車登録手続を行うことが、求められるところから、デイラー車庫方式を安易に採用するのが当然視され、また、そのような指導を受けてきた末端のセールスマンである上告人らに対してのみ刑事責任を追及するという、本末転倒した全く不合理な差別的起訴であり、この点からも本件起訴が公訴権濫用であることは明らかである。

四、以上の如き、現在においては明白な公訴権の濫用が行われた原因は、前記の如く長期間の捜査で示された如く動揺をくり返しながらも、自動車業界のいわば慣行と云つても過言でないほど行われているデイラー車庫方式による新車登録手続に対する抑制のための見せしめとしての本件起訴であつたからであり、かかる悪意に基づく起訴自体公訴権の濫用であることは、改めて云うまでもないところである。

第二、可罰的違法性について

原審判決は「被告人らの公正証書原本不実記載・同行使に該当する行為については可罰的違法性がない」との主張について、「可罰的違法性がないとはいえない」と判断した差戻審の判断は「結論において正当といわざるをえない」として排斥している。しかし、原審判決の右判断は、最高裁判例(例えば「やみたばこ五本不法所持事件」に対する最高裁昭和三〇年一一月一一日第二小法廷判決)と相違する判断であり、破棄をまぬがれない。

以下、その理由を述べる。

一、第一の項で詳述した通り、所謂ディーラー車庫の方法で車庫証明を取得し、それに基づいて新規登録をするということは、調布営業所のみにおいて行なわれていたものでもなく、トヨタ東京カローラ株式会社全体においてまた他の自動車販売会社においても日常的・恒常的・組織的に行なわれていたのである。

しかし、これら所謂ディーラー車庫の方法で車庫証明を取得し、それに基づいて新規登録がなされても、警察から取締を受けたり、ましてや起訴されたりという事例は全くといつてよいほどない。むしろ、車庫証明を発行する警察においても、「ディーラー車庫を容認していたといつても過言ではない状態なのである。これは、それなりに理由があると思える。即ち、所謂車庫法は「青空駐車」を防止するために定められたものであるが、所謂車庫法で定めている車庫の保有はあくまで新規登録の際の条件であつて、自動車保有の条件とはなつていないのである。新規登録後「青空駐車」がなされても(車庫を保有していなくとも)、道路交通法との関係で問題がでてくるかどうかはともかくとして、それ自体所謂車庫法との関係では法益侵害行為とはならないのである。新規登録する時点だけが所謂車庫法との関係で問題がでてくるのである。このような関係にあるため、所謂車庫法はザル法であるとつとに指摘されているのである。また仮りに虚偽の「使用の本拠の位置」等が登録されても、右に述べた関係からその後の取締にも何らの影響もしないのである(この点、原審判決は「権利・義務に関連する事実の証明を誤らしめ、著しい混乱を生ぜしめることは必至」であると判示しているが、事実に基づかない勝手な推論である)。そうであれば、虚偽の申請による「被害」は極めて軽微なものと言わざるを得ないのである。そうであるからこそ、トヨタ東京カローラ株式会社はもちろんのこと、他の自動車販売会社においても、日常的・恒常的・組織的にディーラー車庫の方法によつて車庫証明を取得し、それに基づいて新規登録手続を行ない、またユーザーも右の方法で車を購入しており、その事実が公知の事実となつているにもかかわらず、警察においてもこれを容認し、車庫証明を発行し、取締など行なつていないのである。また本件のように、仮りに取締が行なわれたとしても、軽微な犯罪として起訴などされず、また起訴しないことが社会的に相当であると判断されているのである。

本件の場合においても、私文書偽造・同行使がなかつたならば(この点は原審において無罪の言い渡しがあり、確定している)、軽微な事件として不起訴処分にされていたはずである(この点は第一で詳論した通りである)。本件のように、起訴しないことが社会的に相当であつたにもかかわらず、起訴基準を逸脱して起訴がなされた場合には、それを審理する裁判所としては可罰的違法性がないとして無罪の判決を言い渡すべきである。

また、本件起訴は、第一の三で述べたように真の犯罪者(トヨタ東京カローラ株式会社であり、その取締役)を不問にしたうえ、一番末端に位置する上告人らのみに対してのみ刑事責任を追及するということは権衡の原則にも反するということを併せ考慮すればなおさらのことである。

二、弁護人としても、可罰的違法性の理論が微罪事件は当然犯罪にならないとする趣旨であるなどと主張している訳ではない。しかしながら、微罪事件は起訴基準から見ると他に重大な犯罪を犯し、併合されているとか、その他特に訴追することを必要とする実質的な理由がある場合になされるのが一般であり、微罪事件が単独で起訴されることは全くの例外である(ディーラー車庫の方法に基づく新規登録が公正証書原本不実記載・同行使として起訴されないのも右の判断によるものである。もつとも、取締そのものも行なわれていないのであるが)。

微罪事件の訴追が例外であるということは、法執行機関が軽微な違法事実までもことさらとりあげ、杓子定規で苛酷な法の運用をしているように受けとられることは法秩序の維持にとつて大きなマイナスとなると判断されるからである。従つて、微罪性格の事件を訴追するにあたつては、法執行機関が「法は法だ」ということで仮借なく訴追することがあつてはならず、その微罪事件を訴追したことについて、一般人を納得させる実質的理由を示すことがあらかじめ用意されていなければならないのである。しかも、実質的起訴理由があることが裁判所においても証拠に基づいて立証される必要がある。このことは、「やみたばこ五本不法所持事件」(最高裁昭和三〇年一一月一一日第二小法廷判決、刑集九・一二・二四二〇)において認めているところである。

ところで、本件において検察官は本件起訴の実質的合理的理由を全く立証しないのである。いなむしろ、弁護人の立証により刑責を問われる真の犯罪者はトヨタ東京カローラ株式会社であり、その取締役であり、末端である上告人らは起訴しないのが社会的に相当であるということが証拠により明らかにされてきたのである。仮りに、検察官が微罪な違法ならばやつても構わないのだという誤つた観念に警告を与えるというのであれば、トヨタ東京カローラ株式会社の取締役に対する刑事責任の追及をすべきであり、見せしめに末端の上告人らの刑事責任の追及をすることは、法の執行に対する不公平感を抱かせる以外のなにものでもないのである。

以上の次第であり、原審判決は明らかに最高裁判例に相違していることは明らかである。

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